『愁思符庵』日記(1)
この日本で、いい歳こいた男が、差し出す名刺も持たずに暮していくことが、いかに窮屈であるかは、ある日突然リストラや倒産で失業した人でないと分らないかも知れない。
いや、名刺や肩書きは無くとも、せめて名乗れる職業名をもっていれば、この国では少なくとも社会人扱いは受ける。
昨今流行りのニートやらフリータ−はその窮屈さを敢えて受け入れての生き方なのであろうが、余程の精神力をもちあわせないと、あるいは何処かで求めている人生の自由は謳歌できまい。
社会の規範から外れて生きると云うことは、多くの物を得るチャンスを自ら失い、誰も見向きもしてくれない、身勝手な自由を手にしているだけなのかも知れない。
何を隠そう、いい歳こいた張本人がそう云うのだから、なまじ外れてはいない。
馬券生活者なんて職業はない。そんな呼称なんてどうでもいいことだ。生活の有り様の問題であろう。
昭和の御代が終る年から、私は職を持たない遊び人となってしまった。理由は様々ある。が、手っ取り早く現金を得るには、パチンコ、麻雀、競馬に専念することが誰にも迷惑をかけないで済むことだったからである。
厳密に云うなら、その選択は同居人の人生をも不安に巻き込むことになったのであるから、決して誰にも迷惑をかけずに今の人生があるとは云わないが、曲がりなりにも、盗人だけはしないで暮して来た。
言わば世間の人が手慰みにする遊び事を、実は真っ正直に取り組んできたのである。御苦労なことであり、物好きなことであり、馬鹿馬鹿しいことでもある。
非難は山ほど受けて来た。ギャンブルで喰えるわけが無い、と云う絶大な定理。皆、この梶山を案じての暖かい非難である。
いや、例え喰えたとしても、そうした生き方が一度きりの人生で、好ましいかどうか。他人は口を揃えて意見してくれた。
正確に云うなら30を幾つも過ぎない歳から全国を流浪してきたから、社会人としては落伍者の見本だが、それでも私は生きている。
別れた同居人が最後に観念したかのように云ったものだ。
「この生き方を続けるの?」
「うん、そうだ」
この会話が4年前のこと。以来、多摩川を越した京王稲田堤という小さな町に借家の独り住いの境遇に。
冒頭の『愁思符庵』と名付けたのは、よみうりランドの山と多摩川に挟まれた梨畑の中に、正に世間からは四面楚歌の男が独り暮らしをするに相応しい、何も無い庵暮らしを称したものである。
「シュウシフアン」と読んで頂きたい。
「収支不安」「終始不安」「終止符庵」いづれの意味合いを持つ「借家」だ。
この庵暮らしは、競馬を中心とした博打屋としての、実にストイックな日常で支えられている。パチンコ、麻雀が商いの対象から脱落した代わりに、近年競輪、競艇、オートレースがこの順で加わり、『愁思符庵』の経済を、支えている。
ブログと云う言葉さえ縁の無かった博打屋だが、「日記」のようなものだから、と言い包められ、慣れぬパソコンに向うのには相応しい名前かも知れぬ。
何を以て「喰える」と云うかは、多分に主観の問題であろう。追々、博打屋の暮らし振りや、商い振りを見て頂くが、博打屋は自分の為にだけ博打と向かい合うのであり、他人様に教えるほどの結論は持ち合わせない。ただただ、何年にもわたって実践し続けて来た「他人様に教える程の馬券があるなら、自分で買って生業え」を粛粛と歩んで行くのみである。
さて、今週は関屋記念。ネクタイ、ジャケットが我慢出来る新潟開催なんて、何十年も記憶に無い。灼熱のターフに戻るであろう今週は、馬場が微妙になる。そろそろ、スパッと切れる馬の出番かも。出馬が決まり次第、博打屋の狙いを書こう。
