梶山徹夫の馬券生活 - 愁思符庵日記 -

本物の博打屋が送る競馬ファン必読の競馬ブログ

2007年08月31日

『越後路惜夏』

「お騒がせしました。私めの出番はこれにて終わりでございます」

あたかもそう云うように、きっちりと季節は8月の晦日に夏の終わりを告げてきた。

夜来の小雨。雨上がりの朝。ヒヤリと渡る新しい風。

水を得て「愁思符庵」を取り囲む西洋朝顔も、遅蒔きながら何百もの花を咲かせ、行く夏と来る秋の狭間を生き栄えている。

熱中症に見舞われた先週(23日)、ついに今季初のクーラー入電式。めまいと嘔吐を繰り返しながら「はいはい分かりましたよ、入れりゃいいんでしょ入れりゃぁ。あたしゃ東京電力に身を呈して節電協力してただけなのに」と人並みの夏に身を委ねた。

点滴3本、週末に備え懸命な手当て。
「愁思符庵」を旅立ってからの先週の旅打ちはすでに報告済み。

月曜(27日)、博打屋は茨城の鉾田と云う町を訪れた。
常磐線の石岡からバスで80分。この春、石岡・鉾田を結ぶ単線が廃止され、今は水戸から鹿島臨海鉄道の新鉾田駅かこのバス路線が鉾田への道である。

大洋村と云えば、その昔別荘地で売り出した地。緑と太陽が売り物だった。
その大洋村と隣接するのが鉾田であり、内に霞が浦を望み、外に鹿島灘の洋々とした大洋を見る、自然豊かな農業の地でもある。

この地に今ビッグレッドファームの育成場が着々と完成に向かって工事が山場を迎えている。
博打屋がここを訪れるのは3度目である。

15万平米にも及ぶ敷地の外周に1200メートルを超す坂路の造営。膨大な構想は何年にも遡ると言うが、今年の1月、静内の本拠地から数台の重機と共に大洗港に上陸したビッグレッドファームの精鋭部隊が目にした風景は、森に囲まれた荒れ放題の別荘廃墟であった。

この構想に表裏から事務折衝してきたのか、岡田繁幸氏のブレーンでもある志井田氏である。
この種の大規模開発には根気のいる行政折衝も伴い、着工するまでの歳月が勝負となることは想像に難くない。

事実、水害対策用の貯水池の設置が義務付けられ、15万平米のぼぼ全てを掘り起こすと云う、膨大な工事となった。

木を倒し、根を掘り起こし、敷地の全域に貯水池を掘り、外周の坂路用に盛り土をする単調な作業が1月から続けられ、猛暑を記録した夏場もほぼ休みなく砂塵は上がり、3棟78馬房の厩舎も完成間近の様相である。

「熱中症上がりの博打屋には、ペンキ塗りすら無理だろう。あんたは釣りでもしてなさい」
住民票も鉾田に移し、すっかり鉾田の住人になった志井田氏は、かつてのスーツが着れなくなるほどの痩身ぶり。気丈な振る舞いが、士族の商法を思わせ心痛む。

この日と翌日は鉾田の夏祭りであった。夜、地元の人と一献を傾け、小さな町の祭りの賑わいにどこか羨ましさを覚えたのは、もはや戻るところを持たない、浮き草人生のひがみでもあろう。夏の終わりを告げる祭り囃子は名残惜しい。

昨日(30日)、多摩川競艇に出稼ぎ。オーラスの新潟競馬に悔いの残らぬ馬券代を、との思いが通じたか、3番手走行の秋山直之が石渡鉄兵を差し2着に浮上。この時点で3連単舟券が生き返った。おそらく今節の優勝は秋山であろう。

どうやら競馬も開催。今週は新潟にゲストが来る。
旅打ちの新潟がどんなものか、百分は一見にしかず。
博打屋指名の瀬波温泉で長い旅打ちの傷が癒せるか?

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2007年08月31日 20:12に投稿された記事です。

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梶山徹夫プロフィール

梶山徹夫

1949年広島生まれ、中央大学文学部国文科卒。コピーライターを皮切りに、広告制作、音楽事務所経営、ルポライター、競馬雑誌編集長を経てフリーに。全国の競馬場に出向き、競馬に関わるエッセーを雑誌等に寄稿。著書に「馬券で喰ってどこが悪い」等。

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