『作家たちの虚実感』
「夏すぎて落ち着かぬ秋」
9月27日付け日刊ゲンダイの「流されゆく日々」と云う五木寛之氏のコラムにこういう一文があった。
7826回と云う、気の遠くなる様な連載である。
これがあるから、このタブロイド紙を読んでいると云っても過言では無い。
インドの「格差社会」を思い出しながら、昨今云われている格差について言及している。
「富裕層と下流の格差など、大した格差ではないのだ。真の格差とは、差では無く、格差の外に追い出されることにある。そういう社会を、今の若い世代は、想像することができるだろうか。」
「ふと目を閉じると、戦後の闇市の風景が瞼の裏に浮かんでくる。良家の子女とみなされていた女性たちが、ガード下で客の袖を引く光景を、戦後の日本人は、べつに怪しむこともなく受け入れていたのだった。」
「60年の平和。
その中で生まれ、その中で育った世代が社会を担っている。そのことは、おそらく本当の困難を想像できない層が大半をしめるということだ。
この国がひっくり返されるさまを、想像できるだろうか。
私たちの世代は、できる。
一夜にして世の中が変わるさまを、ありありと目に浮かべることができる。」
「しかし、そんな世代は、すでにこの国ではマイナーな存在だ。・・・・初秋の白昼夢はどこまでも続く。」
多摩川競艇場の日本一の静水面が、1マーク辺りは西に傾いた陽射しでキラキラと輝き、6艇が黒いシルエットとなり、艇跡を描き出す。
ぼんやりとその現場に居合すことが、博打屋にとっての、ささやかな充電なのである。
目の前のレースにさ程の執着はない。
レースの合間の時間が、明日からの競馬を考えるのに、もっとも落ち着いた時間となり得るからなのだ。
しかし、今日(28日)は、読み終えたばかりの「李朝残影」(梶山李之)が、何故かこのコラムと折り重なり、競馬が遠のく。
坂田稔氏の解説によると、梶山の文学の中心的性格は「虚実感」だそうだ。
つまり、あの8月15日の体験。
「実」と信じて命をかけた戦争が、一瞬にして敗戦となり、「虚」であったことを教えられる戦後の日々。
植民地生まれのこの両作家は、同じ様な虚実感の根を持っていたのであろう。
「私たちの世代は、できる」
と云う五木氏の言葉は重い。
つまり、博打屋の世代にも、一夜にして世の中が変わるさまを、思い浮かべることが出来ないからである。
さて、電撃の6ハロン、スプリンターズS。
G1の流れは厳しかろうが、今日の時点で博打屋の食指は、1週前の稽古の良さが聞こえて来ていたアストンマーチャンに動く。
サンアディユ、キングストレイルと、当たり前の馬しかイメージがわかぬ。
セゾンの井出君は29日阪神2R、サマーファインディ、30日1Rドリームキューブで阪神入りだ。
29日、中山5R新馬サマーシルフィードの非凡なスピードをソロリと強調していたが、さて・・・。
土曜(29日)4R障害。ナチュラルリーダーの初障害に賭けてみるつもりだが。
