梶山徹夫の馬券生活 - 愁思符庵日記 -

本物の博打屋が送る競馬ファン必読の競馬ブログ

2007年10月17日

『健坊の涙雨・合掌』

我慢しきれずに涙がポトリ。
そんな雨が冷えきった夕刻落ち始めた。

静かに、そして厳かに読経が参列者の心に染み込んで来る。

微笑みの遺影が博打屋には眩しい。

10年の歳月を遥かに超えた懐かしい顔だった。

今日(16日)、48歳の短い人生を終えた一人の女性の通夜に参列した。

日刊ゲンダイ連載「止まり木ブルース」などで馴染みの塩崎利雄夫人・恵代さんである。

健坊はその小説の代表的登場人物だ。

夕闇迫るまで空は我慢していた。
しかし、人の死はやはり哀しい。涙が漏れた。

博打屋が知っていたのは、松本美樹と云う芸名の時代だ。
あるいは、字が違っているかも知れない。

鴨川の旅館の娘さん、と云うことは朧げな記憶にある。

府中に「宮一」と云うおでん屋がある。
そこで幾度か会ううちに話をするようになった。
当時、この人はレポーターなどマスコミの仕事をしていた。

そして何時のまにか塩崎氏と結婚されていた。

2年前だろうか、病に伏せられていると人づてに聞いた。
今年の始め、塩崎氏からも聞いた。

「宮一」のカウンターで、店の主人と競馬の話を楽しんだのが思い出される。
その主人もすでに亡くなった。

11日、一報をくれたのは、菊地氏と云う塩崎氏のケイシュウニュース時代の後輩である。

先週のパドックでその男と交した会話だ。

「通夜の手伝いか?」
「そりゃ、ね。受付くらいはせにゃ」
「俺は知っての通り博打屋だ。金にゃ忙しい。通夜だって、行けるかどうか」
「・・・」
「今日の出来次第じゃ、行きたくとも香典が切なくならんとも限らん、分るか」
「・・・」
「そこでだ、万が一俺が出向いた時、香典袋に金が入ってなくとも、そこはそれ、黙ってしかと受け取りました、って顔をするんだよ。
あの、忠臣蔵の通行手形の名場面、知ってるだろ。武士の情けってやつ・・」
「なにを馬鹿なこと云ってんのよ、このオヤジ」

この時、パドックを周回するデアリングハートを見ながら、博打屋には気になるところがあり「コイツは要らん」と云ってしまった。

その馬にあっさりと勝たれてしまい、博打屋としては面目がない。

そして、今日(16日)。防府競輪の決勝である。
博打屋は昨日は浦和競馬。今日は京王閣で決勝を買い、その足で通夜に出向くと云うプラン。
博打屋の正しかるべく行動である。

手伝いで決勝を買いに行けない菊地氏に、決勝の見解を聞くと、武田豊樹より海老根恵太だと云う。
喪服に着替え出向いた博打屋は最後まで迷った。
人気は武田ライン。次が海老根ライン。最も人気がないのが小川ライン。

そこへ、我が外弟子のM嬢からメール。
「喪服着ての商い。黒で勝負」

黒と云えば小川ラインの番手、2枠加倉正義。

「それもありか・・・」

かくして、博打屋の迷いは吹っ切れて、「これも博打事の機微。賭けてみよう」となった。

これで加倉が勝ったら、話が出来過ぎ。梶山も書くに事欠いてってことになるのだが、驚くことにそうなったのである。

加倉・武田・兵藤と入り3連単1万4千円。

武田が白の1枠であったのも幸いした。
喪服の基調は黒と白だ。
当然博打屋の馬券には入る。兵藤は武田の番手、並びだから取り易いと云えばそうなのだ。

この車券を香典袋に入れればお洒落か、とも考えたが、すでに香典袋には浦和で稼いだ金が入れてある。

僅かな香典だが、競馬、競輪と綱渡り、人並みに義理を果たせたのも、彼女が最後のお別れをしに来いと後押ししてくれたのかも知れぬ。
博打屋にも三分の魂。

冷たい秋雨。しみじみ、人の死は哀しい。
合掌。

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2007年10月17日 01:10に投稿された記事です。

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梶山徹夫プロフィール

梶山徹夫

1949年広島生まれ、中央大学文学部国文科卒。コピーライターを皮切りに、広告制作、音楽事務所経営、ルポライター、競馬雑誌編集長を経てフリーに。全国の競馬場に出向き、競馬に関わるエッセーを雑誌等に寄稿。著書に「馬券で喰ってどこが悪い」等。

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