『京王閣に明日はない』
「そんなところで予想してんじゃないよ、邪魔だ。こっちは高いショバ代払ってんだから!」
通りがかった店主が、博打屋にどなりつける。
今し方まで、知人が飲んでいた店先のテーブル脇に立って新聞を読んでいた。
車券でも買いに行ったものと、しばし飲み残しの席の傍で待っていたときのことだ。
6日、京王閣決勝に出向いた時、事は起きた。
今にして思えばあんな店に知人に会いに行かなきゃ良かったと後悔だが、逆に、あんな店との出来事が、京王閣の本質を、計らずも垣間見せてくれた。
場内のコンコース広場に面して何軒かある飲み屋の店先は、言わば公道。
その店先で知人の帰りを待っているファンに、邪魔だとは何事だろう。
その場を離れた博打屋は、浴びせられた罵声に、ムラムラするものを覚えた。
「この殺伐とした空気は一体何なのだ。この不快さは受けてしかるべきものなのか」
酔客相手に、わずかでも売り上げを望む店主の気持ちは分からぬでもない。
が、かつてのギャンブル場がそうであったように、ファンをお客様だと云う配慮は微塵もない。
やってることもいい加減な博打事なら、遊びに来る連中も、ろくなもんじゃない。
第一、真っ昼間から博打場に来るような人種、まともにゃ扱えん。
長い間、ギャンブル場はこうした空気が支配していた。
かつて中央競馬が有り余る金で、そうした殺伐とした空気を浄化し、博打をレジャーと大衆化し、競馬をスポーツと言い換えさせた。
その物量作戦と、根気強い啓蒙戦略が奏効して、今日の隆盛を勝ち得ている。
主催者とファンの信頼関係。
このことにいち早く気付いたギャンブルだけが生き延びているのだ。
この日博打屋は、夕刻、殺処分のベストグランチャの弔いの席を控えていた。
時間がないのだが、一つだけ店主の言葉に気になるものがあったのだ。
「高いショバ代」の一言だ。
なるほど、こうした圧迫が、場内の店主に、およそ施設内の店主とも思えぬ暴言をはかせたのか 。
ならば聞かねばならぬことがある。
主催者にだ。
長年、博打屋稼業を標榜し、全国の公営ギャンブルを渡り歩く者として、得も云えぬ憤りを覚えた。
特に京王閣には、アクセスとロケーションの良さから競輪復興の期待さえ抱いていた。
それどころか、衰退一途の公営ギャンブルの、新たな可能性をこの施設に期待さえしていた。
面会を求め、事の次第と、この無礼に対する見解を求めた博打屋を、さらに失望させたのが、主催者側と施設提供側の担当者。
どうやら、場内の店舗の管理監督は施設会社、京王閣競輪場にあり、主催の十一市競輪組合とは別物。
つまり、競輪と云うのは、施設提供会社と、主催する競輪組合と、選手を斡旋する自転車振興会の3者が、複雑に絡んでいる。
まあ、ファンにとってはどうでもいいことで、一歩競輪場に入れば、みな同じ主催者。
つまり、競輪場で過ごすすべてが、主催者の姿勢の中にあるものとして解釈しているのだ。
ショバ代を持ち出された出来事だけに、主催者に見解を求めたにも関わらず、対応した3名の社員は御粗末だった。
当初、対応して事情を聞き、事実確認の後、ファン相談室なる部屋で再会すると、態度一変。
何を守ろうとするのか、約束した名刺すら出すのを拒み、おざなりの謝罪。
しかも、店主からの事実確認も、虚偽報告をそのまま、博打屋に復唱。
高いショバ代、と言わせしめ、わざわざ足を運ぶファンに不快感を与える現実に対する問題意識は皆無である。
それどころか、約束すら果たさず、ただ口頭で、橋本、森田、川北と名乗るだけで、ファンの苦情を聞いたと云う事実だけで事を葬ろうと云う態度に豹変。
時間の無い博打屋は、決勝を見ることもなく、相談室で不毛な時を過ごした。
発端は些細な店主の暴言だった。
ファンとしてその無礼と、さらに根底に流れる、施設内の問題。
それ故に由々しき現実と憂えたのだが、主催者側がこの姿勢では、何をか言わんやだ。
博打屋を何より失望させたのは、この3人の人間性。
卑しくも紳士的に苦情と見解を求めるファンに対して、背信的な対応に終始し、自己保身に走る姿勢。
恥を知れ!
博打屋は時間を気にしながら、誠意のかけらもない男達を見ながら、京王閣はもとより、このギャンブルに明日は無いな、と思った。
余りにも、ファンの立場から遊離した、無能な人材が携わっているのだ。
衰退する公営ギャンブルの、最大の要因は、胴元とファンの信頼関係の欠如、と言うのが博打屋の見解だが、つくずくそう思う。
いや、この出来事の中にも、衰退の要因は内にあり、が計らずも見えてきた。
敵は本能寺にあり、ではない。
公営ギャンブル衰退の敵は、内なるものにあり、なのだ。
はっきり言おう。
こんなギャンブル場に明日はない。
