梶山徹夫の馬券生活 - 愁思符庵日記 -

本物の博打屋が送る競馬ファン必読の競馬ブログ

2007年11月29日

『清水弔問、次郎長表敬』

「清水港の名物は お茶の香りと 男伊達
見たか聞いたかあの啖呵
        粋な小政の旅姿」

夕闇迫る府中の空に、ムーンが輝いたジャパンカップの翌朝(26日)、小田急線で小田原に出、東海道線に乗り換え、博打屋は清水に向った。
各駅停車の旅である。

この春、名古屋競馬の帰途、在来線を乗り継ぎ稲田堤まで帰った経験がある。

この程度は新幹線の出番ではない。

富士山の姿を十分に堪能出来るこの線は捨てたものじゃない。

一度は通り過ぎた筈の富士が、再び前方に見えたりする不思議に出くわすのも、新幹線にはない、東海道線ならではの業だろう。

「ここもとに 売るはさざえの 壷焼や 見どころおほき 倉沢の宿」

東海道中膝栗毛に詠われる東海道随一の景勝地倉沢を過ぎ、薩捶峠(さったとうげ)下を、列車は駿河湾に落とされそうに走る。

見上げる急斜面にはみかん畑が連なり、一度落ちると、海まで転げ落ちそうな急峻だ。

因みに、「薩捶」とは梵語で有情の義。衆生・菩薩と膝栗毛の注釈にある。

初めて降り立つ清水に着いたのが2時半。
残念ながら、お茶の香りも男伊達も感じられない静かな佇まいの町であった。

この日、先日亡くなられた金指知子さんの通夜がこの地で行われた。

博打屋に、お別れに来いと故人が呼んでくれたのだろう。

静岡競輪でもやっていれば、その帰りに通夜が博打屋の正しき弔問のあり方。

しかし、この日近場の博打場は開催無し。

ならば、この地は侠客清水次郎長の町。博徒の親分に挨拶の一つもするのが、博打屋の仁義と云うものではないか。

菩提寺・梅蔭禅寺に向った。

新しく立派過ぎる寺には、いささかの戸惑いは感じるが、墓所や次郎長像は重厚だ。

仙右エ門、小政、大政、石松、次郎長、1代2代3代てふ(蝶)の墓石は柵で囲われてしまった。

人の世に義と情との値を貴からしめた(精神満腹会・撰文より)次郎長一家にあやからんとする俗人が、墓石を削って持ち去る難が絶えないらしい。

「おひけエなすって、手前、チンケな博打屋でござんす。縁あってこの地に参上仕りました。親分さんにゃあお初にお目にかかりやす。これも亡き故人の引き合わせ、うれしゅうござんす。親分さんにも、冥福を祈ってやっておくンなせー。
ついでと云っちゃアなんですが、師走も近づき、テメーの渡世も厳しくなってめーりやした。どうかひとつ親分の爪の垢のひとつでも、と思いやして・・・」

「客人!ネゲーんだよ、話が」

「ははっ、よーく読者からも云われます・・・」


富士山がどこを歩いても間近に見え、鉄舟寺、龍華寺へ辿り着いた頃には、夕闇が清水の港を包んでいた。

故人とのお別れはしめやかに行われた。

「娘さんの一人くらいは下さいよ」

「お金のない男にはやれないわよ!」

安らかな顔が、いつもの冗談を言い出しそうであったが。

19時発東京行き高速バス。21時20分八重洲着。

弔いの旅は終った。

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2007年11月29日 13:19に投稿された記事です。

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梶山徹夫プロフィール

梶山徹夫

1949年広島生まれ、中央大学文学部国文科卒。コピーライターを皮切りに、広告制作、音楽事務所経営、ルポライター、競馬雑誌編集長を経てフリーに。全国の競馬場に出向き、競馬に関わるエッセーを雑誌等に寄稿。著書に「馬券で喰ってどこが悪い」等。

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