『銀座より新座』
秋がひたひたと忍び寄る。
まるで気が付いた時には懐がすっかり軽くなっている博打場での、ふと我に帰るその瞬間のように、ああ、もう秋だったんだと、気付いた時には、すっかりと世は秋色に染まっているものなのだ。
まあ、里の秋はこれからだろうが、博打屋は血が騒ぐ。
書を捨て野に出よと風が云う。
最近利用の多くなった武蔵野線。
名の通り武蔵野の面影を残す風景を通るこの線はギャンブル線と云われ、府中本町の東京競馬場を始め、船橋法典の中山競馬場まで、多くのギャンブル場を抱えている。
つまり、博打屋の通勤ルートであり、因みにその行き先は、東京競馬、多摩川競艇、立川競輪、西武園競輪、大宮競輪、戸田競艇、浦和競馬、川口オート、松戸競輪、中山競馬場、船橋競馬、船橋オート。
ざっと、この線を使って出向く出勤先である。
昼下がり、まだ雑木林の残る車窓の風景を見つめながら、一度仕事さぼってこの辺り降り立ってみたい、と云う衝動にかられることは多かった。
営業マンがサボるのと同じ心境であろうか?
グレてやる。
それが、博打場放棄と云うのも世間から見れば妙なことか。
営業マンはグレて博打場に行くものだろうに。
初めて新座と云う駅に降り立った。
野火止用水、平林寺、睡足軒の森と案内にある。
名がいかにも武蔵野の野を思わせる野火止用水。江戸時代に開削され350年を経て今なお流れる用水路。その流域が散策道となり、雑木林や畑とともに武蔵野の面影を存分に漂わせている。
知らぬ、と云うことは恐ろしくもあり、また損でもある。
平林寺と云う古刹を初めて知った。
永和元年(1375)に現在の岩槻区に建てられ、寛文3年(1663)にこの地に移され今日に至まで630余年の歴史を誇る、関東屈指の名刹である。
開山は鎌倉建長寺の石室善玖禅師。その後、静岡臨済寺の鉄山宗鈍禅師、雪堂禅師、藍渓禅師が中興、再建にあたっている。
国の天然記念物に指定されている境内林は静寂そのもので、凛とした空気が張りつめている。
こんなところに、こんな名刹が、と感嘆しきり。
程よく配された落葉樹木が色付き、秋の陽に澄んだ光を放っている。
その光と空気の静寂を破り響き渡る警策の音。
林の奥に佇む禅堂の中での修行の音である。
因みに警策とは坐禅中に背中を叩かれる棒のことでもあり、ここ臨済宗では、向かい合った位置で左右4回ずつ背骨と肩の間の筋肉を叩くのだそうだ。
暁鐘開静(起床)午前3時。
朝課(朝のお勤め)1時間。
粥座(朝食かゆ)4時。
坐禅(禅問答)4時半。
作務(労働作業)7時半。
提唱(禅書講義又は托鉢)
仏餉(仏様にご飯を供える勤め)9時。
斎座(昼食・麦飯)11時。
作務(労働作業)13時。
晩課(夕方の勤め)15時。
薬石(夕飯・麦飯、一汁一菜)17時。
昏鐘(入相の鐘)日没時。
坐禅・参禅 18時。
解定(かいちん・消灯)22時。
夜坐(消灯後、樹下石上にて坐禅。その後就寝)
さあ、どうだ!凡人ども。
博打屋が垣間見た雲水たちは、この日課を来る日も来る日も過ごしているのだ。
禅堂とは、智慧と徳を司ると云われている文殊菩薩が祀られているところだ。
博打屋にもっとも欠けるこの二つの中で、なんと雲水たちは坐禅三昧。
ああ、知らぬと云うことは罪深い。
武蔵野の奥にこのような実参実究する禅の専門道場があろうとは。
聞くと、全国から雲水が集まり、「坐して半畳、寝て一畳」の生活の中で己事究明の為、「坐禅(静中の工夫)、作務(動中の工夫)」にと、油断なく修練精進していると云う。
「秋の陽のヴィオロンの・・・」と詩人は詠った。
「秋の陽の警策の音の清々しくもの哀し」
と博打屋は呟いた。
今さらではないが、博打屋には銀座より新座が良く似合う。
さて、今日(1日)は町屋斎場に通夜。
その前に、喪服姿で松坂競輪の場外を京王閣に立ち寄り。
また黒白の2—1車券でも買うか。
