『立川炎上』
万に一つの狂いもなく、東京大賞典はウ゛ァーミリアンの圧勝で終わった。
2着も南関の雄フリオーソ、3着が博打屋期待のメイショウトウコン。
大団円の結末、と云うことだった。
「あーあ、取り紙だよ。もー大井なんか来ない」
トイレで何処かのオヤジがぼやくと、別の兄ちゃんが
「儲かるように買ゃーいいんだよ!」
と応酬する。
「そりゃそうだ」とオヤジは歳の功、険悪にもならず済んだ。
あー、年の瀬の博打場だなーと思わずニヤリとする。
何かが起こるのではないか、と人は秘かに予想外の結末に期待し、僅かな可能性に賭ける。
しかし、心のどこかでは、大方の予想通りになるであろうことへの諦めも抱いている。
だから、取っても紙屑と同様な馬券、つまり取り紙馬券を持っている。
買うなら、儲かる買い方をしなきゃダメだ。
兄ちゃんの捨て台詞にも、大きな意味がある。
さて、雨上がりの穏やかな30日。
立川での競輪グランプリだ。
バックスタンドの指定券が当たり、知人達との博打場忘年会だ。
多くのファンが、このレースを遊び納めとしているようだ。
例年、グランプリの立川は炎上する。
世の中上手くしたもので、この日までには大方の支払い関係は終わり皆人並みの正月が過ごせるよう金が回っている。
除夜の鐘の鳴り始めまで、金に追われているのは、今日び、博打屋くらいのもので、希少価値的な存在かも知れぬ。
そこそこ懐のあったかい連中が集まるのだから、立川は燃える。
まさに暮れの頭尾を飾るにふさわしいレースだ。
一年間、山崎芳仁を追っ掛けた知人の輪子さん(競輪マニアだから、鉄子さんに対抗して、こう呼ぼう)は、金網にへばりついて「芳仁!」と叫ぶことであろう。
競輪一年生の卒業試験のつもりでやってきました、と肥の国水前寺公園のスタンプ入りの葉書がきたのは一月前の熊本だった。
これほど密度の濃い競輪入門者も希少価値。
選手のレース内容に様々なドラマが見えるようになれば、立派な競輪オヤジ、いやオバンの予備軍だ。
返信不能の一方通行葉書だが、競輪場巡りの旅は続いているらしい。
車券はどこからでも買えるのがグランプリだ。
9人の選手は輪界の頂点。
栄誉と自負が溢れている。
4.6.8の枠には弱い選手が入るもので、ヨーロッパつまり4.6.8の車券はめったにでないと昔教わった。
しかし、グランプリともなれば皆ガチンコ。
むしろ、有力自力型の選手の陰で爪を磨ぐ選手に勝機が訪れることが多い。
どの競技でも同じだが、ファイナルは別物と考えねばならない。
実績や力で云うなら、山崎、小嶋が抜けている。
しかし、博打の機微はレースの最中に訪れる。
誰もその一瞬がどこなのか分からない。
そこに金を賭けようというのだから、博打は自分の我儘への代償ということか。
その我儘を博打屋は伏見に見る。
山崎と云う逸材を得て千載一遇とは彼の為の言葉。
小嶋の陰の渡辺にもチャンスはあろう。
伏見、山崎、小嶋の3車ボックス3連単が博打屋の車券。
伏見、山崎、渡辺がスケベ車券。
さて、選手紹介に降りだした俄雨。
なにやら風雲急の立川。
博打屋炎上、いや怨情となることか。
