『別所沼ヒヤシンスハウス』
70年も前のことになる。
詩人でもあり、建築家でもあった立原道造は、敬愛する詩人神保光太郎の住む、さいたま市南区の別所沼畔に、自らの週末住宅を建てるべく設計図を何枚も書き、親しい人々にその構想を語っていたと言う。
しかし、その夢は叶うこともなく立原は24歳で夭逝してしまう。
昭和14年、博打屋誕生10年前の事だ。
堀辰雄と共に詩の雑誌「四季」の詩人として、博打屋の青春時代には教科書にも出てきた詩人だ。
幾度か訪れたことがある。
今日(6日)、多摩川競艇場の女子王座場外に出掛ける前、春めいた日差しに誘われ遠出してみた。
「ヒヤシンスハウス」と名付けられたこの家は、五坪ほどの小さな建物。

今日は開いてなかったが、以前見た室内は、窓から沼を見渡せ、ベットや書斎や応接がコンパクトに詰まったアトリエで、博打屋も羨ましく思ったものだ。
こんな週末宅があれば、いい仕事出来るだろうな、と我が「愁思符庵」と比べたものだ。
恐らく誰だってこんな隠れ家を持ちたいと思うはず。
外のポールには青いペナントを掲げ、沼畔に暮らす知人達に在宅を知らせ、来訪を待つという趣向だったらしい。
『その窓は大きな湖水に向いてひらいている。湖水のほとりにはポプラがある。お腹の赤い白いボオトには少年少女がのっている。(中略)・・・僕は室内にいて、栗の木でつくった凭れの高い椅子に座ってうつらうつらと眠っている。(「鉛筆・ネクタイ・窓」)
立原のこの夢は、死後65年目に「詩人の夢の継承事業」として実現し、このヒヤシンスハウスとなっている。
「鎌倉文士に浦和画家」
一つ勉強したのだが、この沼畔には昔から画家たちが多く住んでいたことでも知られているらしい。
沼を取り囲む高台には立派な家が多い。
文芸や美術を育む別所沼なのだろう。
多摩川に着いたのは10R。
偶然にしては、過去幾度も見かける元調教師のO師と出くわした。
住まいが近いO師の競艇好きはつとに有名。
ここで会ったが100年目、と博打屋は師に予想を求め。
しかし、年季は入っていても相手は道楽博打。
博打屋ほどの切ない事情はない。
二人で3連単を惜しいところで外し慰めあう始末。
「ところで、今週のは何が強いんだ?」
スポーツ紙の競馬面を広げ弥生賞の話題に差し向けられた。
「いや、先生に聞きたいですよ」
「矢野のとこのいたな、あれも良いんじゃないか」
「アイティトップですね。良い脚使いますからね。そーですか、良いですかー」
結局、3連単は難しい、と言いながら、最後までチョイ狂いに泣かされ多摩川を後にした。
博打屋も空商いだったが、意中になかった馬名が上がったのが収穫になるか?
明日じっくりと考えよう。(その後出走回避判明)
