『当たり人知らず』
例えどんな結果の週末であろうと、一夜明けた月曜がカラリと晴れ渡ってくれたなら、少しばかり生きていく元気を貰えるような気がする。
おそらくこの一年で最高の負けを記録したであろう。
逆立ちしても鼻血も出ない貧乏に陥った。
「あんたね、四つ足の上に他人が跨がってんだよ、これほどあてにならないものあるかい?そんなもんに、アンタ金賭けてるんだぜ」
耳にタコが出来るほど聞いてきたセリフだが、今さらなから、そりゃそうだ、と納得し、明るい光を輝かせる南武線の車窓に呆然と目をやる。
戸田グランプリか高知記念立川場外か、月曜の残業を迷ったが、時間の都合上自転車に決めた。
戸田は服部と徳増と魚谷のボックスを買いたかったが諦めた。
高知は準決勝だから明日への布石だ。
鼻血も出ないのだから見るだけの出陣だ。
あーお金が欲しいなー、ひもじいなー。
季節は驚くべき早進行している。
花水木がもう色づいているではないか。
花ではないので開花と言いづらいが、つつじ共々ゴールデンウィークの花であった。
馬もやはり早進行だった。
休み明け馬や未出走馬が穴をあけた。
減量騎手旋風も先取りしていた。
しかし、それを生かせなかったのは、まさか、まさかと、そうどれもこれも有利でもあるまいと金縛りにあったように買えなくなったからでもある。
まあ、減量有利は自明の事だが、この台頭は人気馬の中堅騎手の凡騎乗による敵失に乗じたものだ。
減量が上手いのではなく、先輩が下手なのである。
桜花賞も人気馬の凡騎乗が招いたお粗末なレースだった。
大差ない力量に大差の人気がついた博打の機微でもあるが、実績ビハインド馬に騎乗した小牧や蛯名が人事を尽くして天命を待っていたところ、敵失による好結果となってしまった。
もう少し頭を使った騎乗が出来ないものか。
記録的敗北の博打屋に追い討ちをかけた記録的馬券の桜花賞だったが、さすが身の回りに784票の的中票の該当者が見当たらなかったのがせめての慰めか。
700万超の馬券をとった人に素直におめでとうと言えるほど博打屋も人が出来ていない。
筋を読むのが予想であり、アヤを読むのが博打である。
博打屋にそれが出来なきゃ立つ瀬がない。
そうなのだ、立つ瀬も無きゃ浮かぶ瀬もない週明けなのだ。
もしや、浮かぶ瀬になるかと残業にくれば、これまた大荒れの高知の準決勝。
唖然として見ながら、博打のアヤは我が心のアヤではないかとふと思った。
人は皆、生きていくさ中に生まれ出る澱(おり)の様なものを心に秘めているのだろう。
その澱をすくいながら人生のアヤにかすかな幻想を見る。
一体、賭けるに値するあてになるものなんて何処にあると言うのだ。
立川のシネマ通りは不思議な通りだ。
「多摩水族館」なんて大層な名の金魚屋などがある。
競輪帰りの哲学の小道だ。
らんちゅう達を見ていると、貧乏を忘れられる。
