梶山徹夫の馬券生活 - 愁思符庵日記 -

本物の博打屋が送る競馬ファン必読の競馬ブログ

2008年04月29日

『昭和の日』

いつの間に「みどりの日」が「昭和の日」になったのか?


祭日の制定に疎いようでは、社会人として欠落だが、今に始まった事ではない。

世間から見れば毎日が祭日のような暮らしだから、今さら恥じることもない。

「昭和の日」と言うと、自分の時代、と思う世代だから親しみはあるが、祭日にして何をどう祝うのだろう。


明治生まれの親父を家族で攻撃する時に「お父さんは古い!明治は遠くになりにけりだ」と言ったものだ。


その伝で言うと「昭和は遠くになりにけり」なのであろう。


博打屋のブログが面白くないのも、分からないのも、皆その辺りの宿命かも知れない。


祝ったり、学んだりしなければならないものはどこにあろう。


「三丁目の夕日」や「かあべえ」を見なければ分からないほど、昭和は遠くなっているのだ。


日曜(27日)の商いは些かの悔いが残った。


フローラS、主軸と見たシングライクバードの予想外の位置取りに万事休す。


是正されたとは云え、府中の2000メートルはやはり外枠不利。


いや、内枠の馬たちに好位を取られると、必然的にハンデをしょい込む形となる。

その辺りのプラスマイナスを馬券上に加味しなければならなかった。


カレイジャスミンの競馬が、今年の3歳重賞戦線のトレンドではなかったか。


競馬後、荒川区の町屋探訪に出向いた。


思えば「昭和の日」を控えた日に相応しい町であった。


町屋の馬主・田中氏に案内してもらったのが、尾久の女子医大通りにある小さな「寿司福」。


70歳を過ぎた貫禄たっぷりの主人が、6人も座れば一杯のカウンターで悠々の商い。


尾久の花街華やかなりし頃には,そのカウンターで3人の職人が握っていたそうだ。


出前中心で店舗などそれで十分だったらしい。


博打屋がこの通りに来たかったのは、かの有名な「阿部定事件」の舞台であるからだ。


事実、店のすぐ近くに待合「満左喜」の跡がある。


時は1936年5月18日、尾久の待合「満左喜」で愛人石田吉蔵を殺した阿部定は、吉蔵の陰部を切り取り2日後に捕まる。


敷布には「定吉二人きり」、腕には「定」の字が刻まれていたと言う猟奇事件
であった。


博打屋誕生の13年も前の事。「二・二六事件」の3ヶ月後、昭和11年の事だ。


危うげな世相の最中の事件であり「一番かわいい大事なものですから」とハトロン紙に包み持って逃げたモノに世間は騒然だったらしい。


幾度かドラマ化されたのを見て博打屋の記憶にも残る。


近日、映画化されると言うことで、またぞろブームとなりそうだ。


1941年仮出所、1971年千葉のホテル従業員を最後に消息が不明と言う、正に昭和の伝説人。


生きていれば103歳のはずである。


斜陽の一途を辿る商店街らしいが、「寿司福」の棚に眠る立派な寿司桶を見ていると、待合で交わされた男と女の情の吐息が聞こえてくるようでもあった。

「昭和の日」を如何に過ごすかが、「昭和の人」を悩ますとは皮肉だが、主夫をして出向く先には事欠かない。


浦和は「しらさぎ賞」、薗田の「兵庫チャンピオンシップ」のナンヨーリバーも買える。


川口で浜松オートの優勝戦、有吉辰也、高橋貢が買える。


松戸に行けば、武雄競輪の決勝、荒井崇博が買え、そのままナイターがやれる。


多摩川は初日。中野次郎と浜野谷憲吾。


千々に心は乱れるが、しらさぎ賞のセレブサンディはどうだろう。船橋の馬の天下だが、割って入って貰いたい。

さて、昭和の人は何処をさ迷う。

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2008年04月29日 15:22に投稿された記事です。

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梶山徹夫プロフィール

梶山徹夫

1949年広島生まれ、中央大学文学部国文科卒。コピーライターを皮切りに、広告制作、音楽事務所経営、ルポライター、競馬雑誌編集長を経てフリーに。全国の競馬場に出向き、競馬に関わるエッセーを雑誌等に寄稿。著書に「馬券で喰ってどこが悪い」等。

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