梶山徹夫の馬券生活 - 愁思符庵日記 -

本物の博打屋が送る競馬ファン必読の競馬ブログ

2008年05月23日

幹事多忙

半農の金曜日(23日)だが、袋かけの補講は来週になりそうだ。


「愁思符庵」近くの梨園は袋かけは終わり生育を待つばかりとなっている。


先日、ある酒席で梨談義となり、知人が千葉の梨を絶賛し譲らない。

そうなると半農梨屋としては聞き捨てならぬ。


多摩川梨や稲城梨も秀逸と反論するが、所詮主観的論争。判決は同席者たちにこの夏食べ比べて貰うこととなった。


結局、梨を送らねばならない。


こう言うのを漁夫の利と言うのだろう。


意地の張り合いが思わね出費になりそうだ。


一口に美味しい不味いと言うが、これ程曖昧でいい加減な言葉はない。


痛いと言う言葉も似たようなもので、痛みには人それぞれ個人差がある。


主観的評価と言うものは全てそうで、結論の出ない論争になる。

そこで、ある程度の万人共通の物差しを作ろうじゃないかと提案した暇人がいた。


人種、老若男女を問わぬ共通の感覚、感想。


例えば「痛い」は鼻毛1本を抜いた時に感じる痛み。


「凄く痛い」は鼻毛3本を一度に引っ張った痛み。


「激痛」は5本位か?


やったことがないので分からないが、確かにこう言う基準でもあれば、人様が「痛い」だの「美味い」だの主張する、その程度具合が何となく分かると言うものだ。


千葉の梨は脇の下をくすぐった美味しさ、多摩川梨のそれは足の裏、とか。


馬についても似たような曖昧さがある。


パドックで良いだの悪いだのいっぱしの評定をするが、これ程アテにならない評価はない。


見る者の好みや都合や感情や知識の程度具合などに左右されてしまう。

長い目で見て良い馬と映る場合と、今日そのレースで良いと言うのでは意味も違う。


「良い馬」はやがて必ず走るが、勝った馬が必ず「良い馬」と決めつけるのも早計である。

比べ馬、つまり博打事としては勝った馬が全てであり、良い馬としなければならない。


しかし、多くのファクターを抱えた一期一会のレースでの1勝は、普遍的な馬の評価に繋げるのは無理があるだろう。


恵まれた肉体を持て余すアスリートが多々見受けられるように、馬にも軟弱な気性が良い馬を只の馬にしているケースも多い。

明日(24日)土曜、オークス前の静かな競馬場で博打屋のミニ同窓会がある。

春秋の行事となっているが、還暦前のオジサン、オバサンの集まり、幹事としての博打屋は色々気を使う。

何とか馬券で良い思いをさせてやりたいと毎回力が入るのだが不発が多い。


理由は明白だ。


そもそも、博打なんて他人様を巻き込んだり指南したりするものではない。


テメエの懐を傷めるから、好き勝手な馬券が買えるのである。


人様に指南するとなると馬券が他所行きとなってしまう。

無難な人気馬を取り上げ、皆で間違えば怖くない、の心境となるのだ。


さりとて、余りにも大振りをするとがっかりさせる事が多い。


当てる喜びと儲ける醍醐味を如何に与えるか。

真面目に人生を送って来た堅気衆に博打の機微を教えるのも苦労は多い。


「さすが梶山ね、これじゃ働かないわけだわ、結構喰えてるんじゃない」

と言わせなければならないのだ。


何せ、中・高時代の青春残党。


一人博打屋だけが、道を外した人生を送っているのだから。


さて、週末の資金調達。


立川決勝戦は広川が人気だろうが、博打屋の財テクは金子貴志。


オークス、リトルアマポーラ代を捻出しよう。

このページについて

2008年05月23日 12:42に投稿された記事です。

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梶山徹夫プロフィール

梶山徹夫

1949年広島生まれ、中央大学文学部国文科卒。コピーライターを皮切りに、広告制作、音楽事務所経営、ルポライター、競馬雑誌編集長を経てフリーに。全国の競馬場に出向き、競馬に関わるエッセーを雑誌等に寄稿。著書に「馬券で喰ってどこが悪い」等。

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