『世相殺伐・人心荒廃』
秋葉原が修羅場と化したのも知らず、府中では女傑ウオッカの圧勝に人々が目眩のする酔いに襲われていた。
たった一人の25歳の狂人の愚行と片付けるには余りにも異常すぎる。
世界のアキバと変貌し、何でもありの、正に物質至上主義の権化のような街に、誰でも良いから刺したかったと言う25歳が辿り着くにはそう時間の要さぬことであったのかも知れない。
思い当たることも多い。
混雑した電車内でも、ガンとして自分の位置を譲ろうともせぬ若者。
車内で飲食。携帯、イヤホーンは当たり前、人前で平気で化粧までする。
何処か妙だぜ、と思わせる20代が巷には溢れていないか。
間違いなく日本人は金持ちになることと引き換えに、心と言う目に見えないものの価値を見捨ててきた。
しかし、「子供は大人より先に悪くはならない」筈ではないか。
社会が拝金主義に振り回される限り、人心が荒廃の一途を辿るのは歴史が教えていることだ。
博打屋も含めこの世代がいけない。
確たる精神世界も持たず、利を求めるだけの企業や社会におもねくだけを人生の拠り所としてきたツケが回ってきているに過ぎないのではないか。
家族に人並みの暮らしをさせる事のみが人生の目的になり、家族に何を伝えるかの余裕は何処にもなかったのではなかろうか。
大人が利を求める後ろ姿しか見せられなかったが為に、子供たちは溢れる物質の中で機器に弄ばれ、自己の存在すら自覚し得なくなっているのであろう。
せめてこの25歳にウオッカの走りをその目で確かめ、側にいる誰とでも良い、凄いね、と言い合える遊び心があったらと思うのは飛躍し過ぎか。
如何にも梅雨時の空模様、若者よ、パソコンを捨て町に出よ、そして紫陽花の色の変化にいとおしみを持て、と博打屋は言いたい。
出来れば、多摩川競艇にでも来てみろ、と位でもいいか。
今日(9日)は準優戦。安田記念を50点の通信簿としてしまった博打屋としては、今日、明日の多摩川は満点解答のしどころ。
予想通り、白井、辻、浜野谷の1号艇が勝ち上がり、安いながら的中を重ね小博打を商った。(写真浜野谷)
優勝戦は別物、と言うのが博打屋の競艇観であるが、1号艇の浜野谷が有利に違いない。
内3艇以外なら湯川だが、藤丸が一番機力を上げているようだ。
浜野谷、辻の内2艇がやりあうなら湯川、藤丸が浮上。思案しどころだ。
函館競輪をきっぱり捨てての多摩川商いが週始めの博打屋の稼業。
鬱陶しい空模様に人心までも湿っぽくならないように、せめて博打屋は書を捨て町に出かけるつもりである。
