『本場岩盤浴』
昨夜(16日)、最終便の「こまち・はやて」で帰京した。
最終便の東京行きは角館・田沢湖から11000円と言う超割引切符があるのを現地で知ったのだ。(前日までに購入)
長い旅であったが、今回は土日月(12.13.14日)だけの商いで、水木(15.16日)は既報のように「自分探しの旅」夫妻との「博打屋修繕」の旅と化した。
思わぬ展開であったが、風の吹くまま気の向くまま、休み無く続く博打稼業の疲労に、神様が夏休みを与えて下さったと思いたい。
昨日(16日)は乳頭温泉郷「蟹場温泉」で爽やかな朝を迎え、早朝のブナの森の露天風呂でアッと言う間に終わった福島競馬を回想していた。
「金は天下の回りものってか?フン、それにしちゃ博打屋を避けてくれるじゃないの」
リベンジ盛岡で返り討ちを食い、2週に渡る盛岡貯金をやや自嘲的に振り返る。
知人夫妻は早朝の散策に出かけてまだ戻って来ない。
35年前に初めて訪れた時ほどの秘湯感は既に何処にも見当たらないが、山深い自然の様相だけは辛うじて人の手を拒み続けて来たのか、と懐かしくいとおしささえ覚える。
幸い同行夫妻は初めての秘湯温泉郷に痛く感動、一体この人たちはどんな人生を送ってきたのかと思わせる喜びぶりだ。
もはや秋田駒ヶ岳の懐に入り込んだ以上、博打屋もきっぱり商いは忘れる腹であった。
最後に乳頭温泉に来たのは4年前。
この時は「鶴の湯」しか行かず、「黒湯」「孫六」「大釜」「妙の湯」と点在する一軒宿を訪れるのは10年を遡る。
時の流れとは恐ろしい。
何時までも自分のイメージの中の宿であって欲しいものだが、現実は押し寄せる秘湯ファンのニーズに応えるべく変貌をきたし、押しも押されぬ「知られた秘湯」化して来たようだ。
ここまで来たなら博打屋気に入りの「玉川温泉」「後生掛温泉」「八幡平」の自然満喫コースを奨めるのが筋。
ただし、博打屋の同行はこの日迄と決めていた。
「黒湯」(写真)もリニューアルし、
「孫六」(写真)はさらに増築中と言う人気ぶり。
辛うじて野趣豊かな、と評するに値する風情を保っている。
田沢湖に降り再び八幡平方面に山を登る。
玉川ダム湖を囲む山々に見とれながら、余りにも有名になりすぎた「玉川温泉」に着いた。
何年先の予約さえ取れない、とその人気ぶりが喧伝されているが、それもハイシーズンの休日前後の事。
この時期平日に空き部屋もあるようで、「本日空き部屋あり」の看板が事態を変えた。
見るものを圧倒させる天然の岩盤浴風景に夫妻は声も出ない。
硫黄臭漂う岩肌にゴザを引き、思い思いの汗取りを身にまとい、日傘の下で横たわっている人々を見ると、良く言えば日光浴だが、知らずに見ると難民キャンプの様相である。(写真)
この岩は世界でも2ヵ所しかない「北投石」と呼ばれる石で微量のラジウム放射能を含有し、国の特別天然記念物に指定されているものだ。
世間で言う、癌に効くと言われる由縁がそこにあるわけだが、35年前博打屋が初めてこの地を訪れ見聞した光景は未だに鮮明に残り、民間療法としての様々な効用を湯治客から聞いたものだ。
岩盤浴だけでなく、この源泉の湧出量は98度の熱水が1分間に9000リットルもあり、水素イオン濃度pH1.05とともに日本一を誇っている。
この一大「国民保養温泉地」を目の当たりにして、夫妻がカルチヤーショツクを覚えたのは、ある意味必然的な事であったかも知れない。
それは、この地に居合わせ、実際に風呂に入ってみなければ理解し難いことかも知れない。
「何がどう効くのか分かりません。でも、本人がここに治療を求めて来ることを望む以上拒む理由はないんです。」
滞在10日目だと言う札幌からの男性は、離れた所で横たわる奥さんを見ながら博打屋にゴザに座れと勧めてくれた。
「梶さん、部屋あるみたいだよ、泊まろうよ」
知人が真顔で言う。
分からないでもない。博打屋も何十年振りかで泊まりたいと思った。
しかし、だ。
開催替わりで週末は新潟が待つ。
このまま付き合うととめどない温泉宝庫、帰京がおぼつかない。
二人を残して博打屋はバスで田沢湖まで降り5日振りの「愁思符庵」に戻った。
蒸し返す東京の空気に息苦しさを覚えながら洗濯の午前中。
2日間の無収入が博打屋に脅迫観念さえ与える。
帰京初日(17日)の商いは西武園競輪決勝を選択。
一つ前のレースには木本が走る。川崎でサイン入りのジャンバーをくれた選手だ。
木本は番手の浜口を引き出し3着に残る。
異常な暑さの中、西武園の客も日陰に退散。(写真)
帰京初日の商いは木本様々であったが、決勝で元の木阿弥。
空気も悪ければ、異常な暑さに、昨日までの東北の空が恋しくなった。
一息つく間も無く新潟が始まる。
