『発汗中高年』
「カナカナカナー、カナカナカナー」
夏の夕陽の翳りとともに、涼やかに、かつ寂しげに響きわたるひぐらしの声。
羽根の音だから、鳴き声と呼ぶのは正確ではないが、悲しげな哀調を帯びた音はやはり鳴き声と呼びたい。
やっと地上に飛び回れる喜びか、あるいは短い命をはかなんでか。
「梶さん向きの新しいタイトルを思い付いたよ。『ひぐらし文無し次郎』っつうの、どお?」
会社じゃそこそこの役職にいるのだろうに、この手の洒落は垢抜けない男だ。
まあ、今日の幹事だからそりゃイタダキだと笑って応えたが、余り人様の事を的確に言い現すもんじゃない。
カナカナカナの切なさの爪の垢ほども分からぬタイプだ。
それにしても一流企業に勤めている宮仕えにはそれなりの余録と言うものもあるものだ。
何十年振りかで行われた大学時代の寮時代の集まり。
正しくは1年前にあったが、博打屋は過去を捨てた男だからその時には出なかった。
三鷹にあったその寮はとある社団法人の運営で、寮生の大学はまちまちだった。
前回の集まりが30年振りであったのだから、まあ、殆んど付き合いのない顔ぶれでもある。
その分科会的な同学年の集まりが、幹事の会社の保養所のある箱根の強羅で行われ、新潟帰りの疲れをおして早朝出向いた。
今日明日(4・5日)は博打屋は夏休みである。
高松競輪のビジネスチャンスを捨ててまで出向く義理はないのだが、土日を避けての前倒し夏休みにしてくれた意図にも応えねばならない。
ゴルフ組が大半だが、テニスなら付き合えると、博打屋はテニスを選んだ。
強羅は標高500メートルにあり、ゴルフもテニスもさほど苦にならない。
まさに中高年の発汗休暇だが、さすが日本屈指のリゾート地、木陰に入ると汗もさっーと引き心地よい。
久々のテニスに博打屋は長年蓄積した毒を汗とともに絞り出したような気がした。
何より競馬と一切無縁な人々との交わりが、これほど新鮮に感じられる事が不思議に思えた。
これは博打屋が常々感じる事だが、競馬に関わる人々は余りに社会感覚に乏しく、特殊な事業形態に拍車をかける村社会がある意味社会性を損ね、とんでもない勘違いをした人種を産み出しているようにも思える。
悪いことに、それを補うのが所詮博打事業、経済的優位だけは他を抜きん出ている。
平たく言うなら、大きな金が動き過ぎ、それが彼らの存在理由の拠り所、大いなる勘違いとなってもいるのだ。
そう言う意味では博打と言う虚業にあぐらをかぐ人種より、実業の中で小市民の典型を生きる中高年の生き様のほうが豊かな人間味を漂わせ、畏敬の念さえ覚える。
部屋の向かいの明星岳の山焼きは8月16日と言う。
窓の向こうに大の字に刈り込まれた山肌が見える。
夏の夜空を焦がす大文字焼きをここから見れるなら申し分なかろうが、そこまで贅沢は許されまい。
それにしても改めてここ強羅には企業、組合、大学、各区の保養所の多い事を知る。
しかも、皆建物も立派なら環境も抜群。
箱根の懐の深さを改めて思い知らされた。
全く物音ひとつしない強羅の夜。
麻雀組が戻る前の露天風呂に一人高松競輪を思う博打屋の休日だ。(写真)
