『ひぐらし文無し次郎』
喜んで使いたい見出しじゃないが、ひぐらしの鳴き声を聴いていると、成る程その日暮らしの人生だからひぐらしまでは納得する。
文無し次郎にはいささか抵抗はある。
その前に蛇足ながら「木枯らし紋次郎」と言う笹沢左保の時代小説を想起して戴かねば見出しが生きてこない。
しかしだ、世間ではどの程度を金持ちと言うのか知らぬが、博打屋だって何時も文無しでもない。
さりとて、預金や債券や固定資産があるかと言えば堂々と無い。
が、痩せても枯れても博打で食い繋いでいる以上、なまじ文無しではない。
ただ、そのような状態に陥ることが世間の人より圧倒的に多いだけだ。
そりゃアンタ、喰いっぷちをだすだけでも大変な事。
切ない遣り繰りをしながら文無しを極力避ける闘いを繰り広げているわけだ。
従って安直に文無し次郎なんてやっぱり失礼だろう。
昨夜降り始めた雨は箱根の夜の静寂をサーッと通り過ぎ夜半には雨音はしなかった。
代わりに気付いたのはまだ明るさの欠片もないその夜半、どうしたものかひぐらしがカナカナカナと大合唱。
いや、あれは輪唱と言うべき哀調の蝉時雨。
しばしまどろみながら聞き入っていた。
夜明けを呼ぶひぐらしの調べ。
ひとしきり奏で終わると夜明け前の静寂が戻る。
あれは一体何故鳴くのだろう。あんな時間に。
昨日からの同窓会、早い朝食を取り参加者の大半が強羅からの出勤。
東京は十分通勤圏なのだ。
残った数名は車組。薄曇りでガスめいた朝だったが明るさを取り戻し、各々再会を約して保養所を後にした。
早目に帰京出来れば高松競輪決勝を商う算段もしていたが、芦ノ湖回りで帰る車に便乗、今日の商いは諦めた。
優勝は手島慶介か小嶋敬二、浜口高彰と予想していたが、小嶋、浜口、牧剛央と入ったようで3連単は外していただろう。
東京多摩地区は集中豪雨で被害甚大だったようだが、帰庵した時は豪雨後で、しのぎやすい夕方であった。
ほったらかしの植物たちには潤いの雨だったが、人には度の過ぎた雨だったようだ。
開店休業の週明け2日。
このブログを読む限り博打屋は反省ばかりでどうやって食べてるのか分からない、と知人が指摘する。
馬鹿言ってもらっちゃぁ困る。
新潟のパドックから秒との争いで注目馬を拾い上げ、結果の出る前に博打屋の見解を披露しているのだが、言い足らない馬もあれば締め切りまでに書き切れないレースも多い。
ブログアップしたレースでも書き切れない馬もある。
高い金取って予想する業者ならキチンと買い目までを書くのが商品だろうが、博打屋のパドック報告は人気薄でも馬体重視、オヤッと思う馬を指摘するのを旨とし、予想と現場とのギャップを実証するためのものだ。取り上げた馬だけの馬券しか買っていない訳じゃない。
我がプライドに賭けて言わせて貰うなら、その中味の濃さが評価されないなら、それは読み手の怠慢である。
博打屋はプロである。
犬が人を咬んでもニュースにゃならないだろうが、人が犬に噛みつきゃニュースになるの例えの如く、博打屋が馬券を当てるのは当たり前の事で、寧ろ外すことが一大事、ニュースなのである。
だからひっきょう反省の弁が多くなるのだが、終わった後の的中話など何とでも作れる。
その虚構を避ける為に寸暇を裂いて事前見解を報告している。
読者に利用出来る時間内ではないが、博打ってものが現場での生き物であることの証しの為でもある。
押さえ馬券など、取り上げた馬とそうでない馬との馬券をどう買ってリスクヘッジを試みているか、その辺りをいちいち報告しないだけに今回のような指摘にもなるのだろう。
ご意見は有り難く聞かせて貰おう。
ついでに断っておくが、馬名に正確性を欠く事があるが、僅かな時間に携帯から打ち込むのでカナを間違いやすい。
プロのくせに、馬名を間違える段階で信用ならん、なんて枝葉末梢なことは言わないで戴きたい。
時間との闘いでもあり、自分の商いも優先せねばならない。
訂正する時間もなく、確信犯の文字違いがある。
その点は今後とも重々ご承知おき戴きたい。
と言うわけで「ひぐらし文無し次郎」は今日も鳴くのである。
カネカネカネ~カネカネカネ~。
