『立秋とは暦のみなり』
今日(7日)は立秋である。
日中の暑さはピークを迎えるが、早朝にはかすかに涼風が漂いはじめる。
夏の終わりを告げる「日ぐらし」が鳴き始め、この日からは残暑見舞いとなる。
確かに暑さのピークだけは言い当たっている。
週始め緑深い箱根で「日ぐらし」の蝉時雨にあったが、東京では身近にその声は聴かない。
「愁思符庵」近くでもまだ耳にしないのは、その時間に居ないからなのか。
代わりに、アブラ蝉の鳴き声と、亡骸がそこかしこに見られるようになった。
今年はアブラ蝉の鳴き出しが遅かったようだ。
三日の命なんて何時の時代に誰がどうやって調べたのだろう。
ましてや地中に7年もいてやっと地上に出ると言う儚い生涯を突き止めた人は誰だろう。
古来、儚いものの例えとして蝉は詠まれても来た。
源氏物語には「空蝉」などの言葉もみられる。
ものの哀れを先人たちは感覚的に捉えたに過ぎなかったのか、それともすでに科学されていたのか。
足元でバタバタと力尽きたアブラ蝉が最後の命を奮い立たせている。
どういうものか、亡骸は皆上を向いている。
最後の羽ばたきで上に向いたまま力尽きるからなのか。
やがて蟻が群がり、生態系の循環を教えてくれる。
先年石垣島に行った折り黒島と言う牛ばかりの島に行った。
島の案内板に、11月中旬この頃蝉の鳴き声消える、とあった。
沖縄の暑さを改めて感心したものだが、やはり三日の命なのだろうか。
なんとなく長寿に思えるのだが。
当ブログにもご意見を戴く事が多い。
先日中野の「クラシック」と言う喫茶店の事を書いたら早速知人の結城氏から感想を戴いた。
博打屋より若干若い氏だが、学生時代が渋谷中心だったせいか中央線沿線の音楽ゾーンには憧れもあったそうだ。
今でこそ競馬の物書きのみすぎよすぎだが、氏の原点は音楽であったようだ。
昔、氏と飲んだ時博打屋がジャニス・ジョプリンを熱く語ったことがある。
その事を引き合いに、花だ月だ芭蕉だ、なんて風雅な博打屋風情だけでなく、ジャズやロックも語れる博打屋であって欲しい、と激励された。
言われて赤面ものだが、音楽を語るなら博打屋はど演歌かも知れない。
何れにしても、ビートルズよりローリングストーン世代た。
もう一人の投稿子A.Kさん。
いつも博打屋の奮闘にエールを送って頂く。
以前、騎手のエージェントに関するご質問を戴いたが、そうした立場にある人が、予想を売り物にしているのかどうかも博打屋は知らないし関心もない。
第一、博打屋は予想を生業にすること事態が性に合わないので、その種の業者の内実には興味がない、
馬券がそんなもので当たるなら、このクソ暑いのに新潟通いなどしゃぁしないし、第一そんなもん当たりゃしないだろう。
よしんば当たったとしても普通の人がたまに当たるのと大差ないはず。
ただ、競馬に興味ある人が様々な予想業者の商品に期待を抱くのは自由だし金を払うのも勝手。
しかし、何らかのメールアドレスを元に勝手に有料の商品を営業してくる業者には十分配慮されるべきだろう。
くどいようだが予想がそう簡単に大金に化けることは少ない。
ファンが知る以上に、結果を決定的に左右する秘密の情報なんて、あるかのように謳って商売するのが業者だろうが、はっきり言ってそれはない。
ついでに言及しておくと、このブログに投稿して頂いた内容は断じて外部の目に触れることはないそうだ。
勿論個人情報は守られもしている。
呉々も押し寄せる競馬予想サイトに振り回されず、「自分の為の、自分の勉強による、自分だけの競馬」を楽しんで頂きたい。
