梶山徹夫の馬券生活 - 愁思符庵日記 -

本物の博打屋が送る競馬ファン必読の競馬ブログ

2008年09月06日

『弥彦調教』

新潟最終週で漸く弥彦競輪、新潟競馬のセット博打のスケジュールが実現した。


本来なら弥彦泊まりの新潟入りが理想であったが、訳あって今日(5日)は一度帰庵して、明日土曜最後の出勤である。


弥彦競輪場近くの飲み屋で飲んでいる内に電車が遅れとんでもない事になった。

一本遅れが70分のズレを招く夕方のダイヤ、燕三条からの新幹線も更にズレた。


飲み屋の女将が幾種かのメダカの飼育をしており、土産に稚魚を貰って帰った。


博打屋の理想は土日の競馬の後の残業が好みだが、弥彦競輪は金土日の開催だから中々来る機会がなかった。


新幹線燕三条から弥彦線で5駅。弥彦神社の参拝人の輸送を目的として1916年に設営された線である。


何度か訪れたが、鉄路は初めてである。


何時も車で他人と一緒が多く、ゆっくり散策と博打に専念と言うのが今日の取り柄。


シットリと神々の伝説を秘めた「おやひこさま」。


つまり、天照大神のひ孫にあたる天香山命(あまのかごやまのみこと)が弥彦の大神さまとなる。(写真)

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町そのものがまほろばの杜弥彦神社に抱かれているような所だ。


10時過ぎに着き旧北国街道の杉並木を歩いてみた。(写真)

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まだ盛夏の陽射しが高い杉木立を射すように下りてくる。


アブラセミとツクツクボウシの共演は杜の深さゆえだろう。


競輪にはまだ早く神社の杜を抜け弥彦山ロープウェイで山頂に登ってみた。


車で来た時には気付かなかったが御神廟のある山頂(638m)までは急坂を山歩き。

ハイカー達のパノラマコースとなっていて越後平野は元より、燕・三条の集落や日本海寺泊に至る海岸線がくっきりと見渡せる絶景地。(写真)

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車でさっ~と来たのでは知ることもない地点だっろう。


一汗かいて下山し、弥彦神社に参拝し商いに急いだ。

神社の中にある競輪場と言って過言ではなく、博打が神に許されている事を物語っている。


久々の競輪場だが、今日のメンバーは些か格落ち。


入場者7~800人の日もザラで今日もその程度。


弥彦村営で神聖な杜の中にある博打場にしては警備の人間が多く、如何にも管理博打、官吏博打の威圧感が漂う。


写真を撮ると早速警備が飛んできて注意だ。


写真を禁止する競輪場が多々見られるがその理由が博打屋には分からない。


今時、何処からでも撮れる写真を目くじら立てて禁止してどうなると言うのだろう。(写真)

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制服を着た衛視のような男がそこかしこに立っていては美観を損なうばかりか殺伐とした空気を流す。


民がやるサービス業の発想からはあの雰囲気は考えられない。


根本的にファンとの温度差がありすぎる官の感覚。


旅情をそそる神の膝元で行う博打を主催者自らが不貞の輩の狼藉防止を御旗に掲げ、雇用の受け皿として過剰警備しているようではこの競輪場も神社境内の鹿や鷄舎と同じ位置付けになるだろう。


初日のせいかレースも至って淡白。


ライン決着も多く取り易いと言えば取り易いが、スリルも興奮もない。


高齢者が多く窓口で後ろを待たせたまま書き直すなど、のどかを通り越したダサさ。


買いそびれた車券だけが的中で3連単はことごとく抜け目。


そのうち京王閣ナイターの場外併売が始まり、妙な気分に陥った。


今日の商いは失敗であった。


新潟最終週だけに閑散とした温泉町に泊まれば歓待されるだろうと後ろ髪引かれる帰京であった。


この9日間、「おとなの休日倶楽部」パス様々であったが、心残りだった弥彦巡礼が出来たのが、夏競馬有終の美となることを願うしかない。


博打屋の長い夏も大詰めを迎える。

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2008年09月06日 00:58に投稿された記事です。

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梶山徹夫プロフィール

梶山徹夫

1949年広島生まれ、中央大学文学部国文科卒。コピーライターを皮切りに、広告制作、音楽事務所経営、ルポライター、競馬雑誌編集長を経てフリーに。全国の競馬場に出向き、競馬に関わるエッセーを雑誌等に寄稿。著書に「馬券で喰ってどこが悪い」等。

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