『秋寒・やや寒』
日本語は繊細だ。それは四季を持つ大和民族ならではの特性であろうし、日本人の誇れる本質でもあるのだろう。
一口に寒いと言っても季語の世界には様々な言葉がある。
「秋寒」「やや寒」「肌寒」「うそ寒」などすべて晩秋を表すが、その寒さの中身は微妙に違う。
立冬前の寒さを「秋寒」と言う。
ちょうど今日(28日)、立川競輪場から帰りに感じた寒さが「秋寒」と云うのではないかと思った。
勿論、千葉競輪の決勝戦が海老根恵太・新田康仁の本命ライン落車で金子貴志・吉田敏洋で決まった事による懐の寒さではない。
冬は突然やって来るのではなく、こうした寒さの段階を経てやって来る。
「秋寒むや 行く先々は 人の家」
一茶の句だが安住の地を持たない心情が博打屋の胸を打つ。
「やや寒」は少し寒いと云うことか。
「肌寒」は文字通り皮膚感覚としての寒さ。淋しさや心もとなさも含まれる。
「うそ寒」は「薄寒」から転じた言葉のようだ。
気温では現しきれない寒さ。冬の寒さとは違う不安な寒さだろう。
何れも言い得て妙ではないか。
何とか書き終えた今日締めの原稿。
中途半端な商いの立川であったが、余儀なき開店休業は昨日の怠慢のツケ。
月末近くで落ち着かぬ一日だったが、何はともあれ堅気仕事は完了。
明日からは晴れて商いに専念するが、手元不如意は如何ともし難い。
そぞろ寒さが博打屋を襲う今日である。
