『激貧風景二題』
「未曾有の大不況で悪夢のシミュレーション・あなたを襲う『超激貧生活』」
電車の中吊りに週刊誌の見出しが過激に踊る。
超・激貧なんて上手いこと云うが、博打屋からみると今さら超・激貧なんて恐れるに足らない。
何が激貧か知らないが、我が日本社会はとっくに超・激貧をむかえているじゃないか。
武蔵野線に乗っているとテニス部員らしき女子大生が鏡片手に目パチクリの化粧に余念がない。
マスカラを塗る毛虫の様な棒を瓶に突っ込みカシャカシャして墨を付け引っ張り出し、半分ロンパリ状態になった目を塗りたくっている。
口を半開きにして睫毛を偽装し、アイラインを詐欺している。
何時までやるのかと見ていたら終点府中本町までたっぷり。
あろうことか仕上げを色々な角度から鏡で確認し満足げな顔をするではないか。
悪いがちっとも変わっちゃいないし可愛くも美しくもない。
以前にも言ったが、日本人は身内社会で了見が狭い。
知らない人の社会ではなりふり構わない装いの舞台裏を見せておき、身内社会で美しく評価されれば良いと云う利己的な了見だ。
美しさを装うなら、偽装過程は徹底的に隠して貰いたい。
他人にはどんな顔を見せて偽装しても、彼氏に綺麗だよって言われりゃ本望なのであろうか。
激貧は心の問題ではないか。
南武線に乗り換えると前に座った若者が両ひざがビリビリ破れたジーパンをはいている。
片方は特にひどくパンツが見える位の大胆なほつれ。
飽食の時代に良くぞ其処まで大切にはいている事よ、と思い、いやいや、これが激貧、ワーキングプアの現実と博打屋の涙を誘うところだったが、博打屋は騙されない。
これがファッションとして堂々と許される日本なのだ。
う~ん、やはり何処か激貧ではなかろうか。
日本人には「公衆の面前」と云う暗黙の良識、配慮と云う美徳があると育ったが、何でもありをここまで許容する社会も、博打屋並みに超・激貧ではないか。
その超・激貧をからの脱出を目指し、全休明けの博打屋は多摩川に商いを求めた。
6艇しかいない競走だが中々的中しないものだ。
博打の難しさ、厳しさを体感するにはもってこいのギャンブルだ。
何でもあり、水上の格闘技だけに不可抗力の最も多い競技。
しかし、何事もなければ技術がものを言い、戦い半ばになるとモーターの力関係も明瞭になってくる。
勝負するには最も危うく、最も堅く、最も度胸の要る博打であろう。
超・激貧は心の中にあり。
決して博打屋の懐ばかりではない。
多摩川12R,脱・激貧は山室展弘にあり。相手は榎幸司、今村暢孝。
桑島和宏は3Rで1着、波乱を演出。7Rは6着だった。
場立ち予想屋「銀行レース」。きょうび銀行は余り信用ないのかやや淋しい。(写真)

