梶山徹夫の馬券生活 - 愁思符庵日記 -

本物の博打屋が送る競馬ファン必読の競馬ブログ

2008年12月19日

『人間の矜持』

あっ、そうの太郎ちゃんが珍しく難しい言葉を使ったので心配でならない。


例の定額給付金ばらまきについて、「私はそんな金をもらいたくない」と云う人はもらわなきゃいい。1億あってもさもしく12000円が欲しいと云う人がいるかも知れない。それは哲学、矜持の問題、とのたまったのだ。

「人間の矜持」の問題だと。

心配だから手元の広辞苑を開く。トウカイテイオー引退記念と銘の入った博打屋の座右の書だ。


きょうじ、またはキンジと読み、「自分の能力を信じていだく誇り。自負。」とある。


用例として「横綱としての矜持」とも。


1994年9月第四版のこの書は正に優れ物。横綱としての、とこの用例が今日生きる事を予期しており、また、太郎ちゃんの口から出た事で世に知られる用例にもなる。


幸い使い方としては間違ってはいないが、ブレにブレるこの話しこそ「首相としての矜持」の問題だ。


他人のことはさておき、博打屋としての矜持が問われる追い込み博打の様相を呈してきた。


後が無い、と思い詰めるのだが、考えてみりゃ大晦日までピッシリと商いは続き、年を越しても元旦から商いはある。


打ち急ぎすることはないが、やはり、収支の区切り、いや、気持ちの区切りのようなものが人には必要なものだ。


博打屋としての矜持。それは残された日々に懸かる。

「愁思符庵」の庭で念願の焼き芋を試みた。


落ち葉をかき集めて焼くのが筋だろうが、庭の枯れ草や紙屑で誤魔化したが上手く焼けた。(写真)
200812191212000.jpg

芋を食べながら一匹姿を消した「弥彦メダカ」の事が解せなくて仕方ない。


今日(19日)の朝気が付いたのだが、考えられるのは水の交換の時に一匹流してしまったか、器から飛び出したか。


探しても無いし、流しのネットにもそれらしきものがない。


今さら共食いでも無かろうに不思議だし可哀想な事をした。


残るは二匹となってしまった。来年また弥彦で貰って来よう。


今日は夕方から神楽坂で麻雀の予定である。


先日の大会で優勝した矢崎泰夫氏と犬猫の写真家新美敬子さんとサラブレの会社員だと云う後藤君の顔触れだ。


矢崎氏は大会のステークス賞金を手にしたのだから、今日は存分取り上げてこよう。

土日の前にする博打屋はチョイ厳しいよ、と分かっている上でのこの日の誘い。


まあ、忘年会兼ねての集まりになりそうだ。


懐暖かい堅気とやる博打が一番怖い。


返り討ちに会わぬよう心せねばなるまい。


出かける前に岐阜競輪の京王閣場外。


8R石丸寛之が勝つだろう。
10R淺井康太に任せる山口高彰が恵まれる。中村一将が穴。

11R地元コンビ加藤、山口に紫原が絡む。


行き掛けの駄賃とせねば、今日の商いはここだけになる。


麻雀は商いだが、相手のある短期戦。運とツキにあがなえない事もある。


競馬に神経を使う前に麻雀でツキを占って来よう。

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2008年12月19日 13:56に投稿された記事です。

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梶山徹夫プロフィール

梶山徹夫

1949年広島生まれ、中央大学文学部国文科卒。コピーライターを皮切りに、広告制作、音楽事務所経営、ルポライター、競馬雑誌編集長を経てフリーに。全国の競馬場に出向き、競馬に関わるエッセーを雑誌等に寄稿。著書に「馬券で喰ってどこが悪い」等。

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